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さよなら自分

さようなら

妻への絶望 愛別離苦なのか怨憎会苦なのか

妻への絶望について。
愛別離苦なのか怨憎会苦なのか、いやどちらもだろう。
かつては育児に対して尊敬の念も持てた。
少ない睡眠時間の中、母乳を与える姿なんかは特にね。

それがあれば、夜の生活がなくても、受け入れることはできる。
家事が追いついていなくても、全く気にならなかった。

しかし、問題は幼稚園に入ってからだ。
時間も体力も余裕ができた。
しかし結局、ママ友との交流、クラブ活動を優先し、
挙げ句は子どもよりママ友とのLINEを優先する。
もしくはメルカリ。
メルカリやLINEに集中したいからと、娘を蔑ろにする。
かまって欲しさに子が声を上げても、子に怒り出す。

そんな中、こちらはもっと適当に扱われる。

そんなのは限界だ。
かつては愛を持てた。
しかし、今はどうだろう。

クソマンのサゲマン。

自己評価を下げる存在でしかない。
たしかに多少の労力はマシになっている。
しかし、意識の矛先はどこにあるのだろう。

結局は何かしらの世間体。
なぜ、家族を最優先にしないのか。
それは面白くないからだろう。

ただ遊んでいるだけじゃないか。

一度はっきりと言った時、妻は発狂した。

「ああああああ」と叫んで、泣いていた。

改心したかと思ったが、そんなのは数ヶ月だけの効力だった。

正直めんどくさい。

ただ、好きになれと言って好きになってもらうというのは違う。
子をもっと好きになれと言っても、本心が違うのなら、どうせ嘘になる。

カネの面も労力の面も限界まで費やしたつもりだ。

それでも余裕ができて遊ぶだけなら、
ナメられているとしか思えない。

どうせいざという時に何もしてくれないような人脈もどきを優先するというのはおかしいが、そっちが好きならそっちに養ってもらえ。

もう、女としても要らない。
クソマンのサゲマンだからな。

そんなことを思いたくはないが、それが本音だ。

愛するものと分かれる苦しみ、
そして毎日のように嫌いなものと会わねばらぬ苦しみ、
その両方だ。

相手に変わってくれというのはおこがましい。
しかし、自分と子のためには、どうにかするしかないと思っている。


そんなことを考えさせないでくれ。
普通に夜も心置きなくガンつきできればいいんだが、
ハイコストローリターン。
割に合わない。
気兼ねなしにすべてのことが運ぶようになってくれ。

もうそろそろ限界だ。

そんなことを思って何年何ヶ月だろう。

少しマシになるかな、なってきたかなと思うと、
何かしらの理由ですぐに駄目になる。

相手の人格なんて気にしたくないんだ。

こんな人生は真っ平だ。

毎年冬になると、この世から去りたくなる。


「愛別離苦」愛するものと別れる苦しみ

「怨憎会苦」嫌いなものと会わねばならぬ苦しみ


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さよなら自分

まあ私というものがあるから煩いを感じるのであってさ。さよなら自分

みうらじゅん氏 さよなら私

みうらじゅん氏による「さよなら私」についてのお題拝借です。

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