「叫び」は母との思い出を破壊するものになった。
母に会いに実家に行ってもほとんど叫んでいる。
特に父が登場すると叫ぶ。
こちらが関わることで少しの不快感があるとすぐに興奮する。
そして叫ぶ
「おかーちゃん。おかーちゃん。おかーちゃん」
実際の母の母は既に他界している。
これはよくあることだろうが、保護者を求めている時にこうした言葉が出る。
表現は悪いが、半ば狂人に近い状態である。
通常の会話が成り立つこともあるが、半分以上成り立たない。
横にいて支えていても後ろに仰け反る。
それがあまりに力強いので、少し待ってくれというと
「なんで私ばっかり責められなければならないのか」
ということを言い出し
「帰れ!」と叫び出した。
自分と母との数十年間の関係性が見事に壊れていきそうだ。
体が動かない、それをサポートするというのはさほど気にならない。
しかし、表現は悪いが、今、半ば狂人と化した母と接して何になるのだろう?
辛い思い出ばかりで上塗りしていくだけじゃないか。
優しかった部分、厳しかった部分、しっかりしていた部分、だらしない部分、それらを微笑ましく思い出したり、また、笑ったりすることもできなくなる。
はっきり言えば、医者もさじを投げている。
そりゃあ彼らも思いつくことはすべて試しただろう。
これは、家族とは何か、生きているとは何か、生命とは何か、人生とは何か、人間とは何かという領域にまで踏み込んでいる。