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さよなら自分

さようなら

  • 親子喧嘩の緊張
    母が倒れて起こった問題の一つが、自分以外の実家家族たちの軋轢だ。
    基本は親子喧嘩。ちなみに警察が数回出動している。
    ゴルフクラブを振り回したりするほどの騒動だ。
    近所の人の植木鉢を割ったりさ。

    で、実家家族から電話があるかもしれないと思うと、毎日緊張した。

    電話が来たところで解決できない問題はないし、どうということもないが、対応に時間を取られるのがめんどくさかった。

    こっちにも守る家族と仕事があるんだ。

    という気分。

    母に関することなら彼女は動けないのだからもっと気にならなかっただろう。

    しかし母が管理していた実家の家計をどう扱うかといったところで、
    仲の悪い男たちがよく喧嘩になっていたわけだ。

    生活費全般にわたって

    「あの金は誰が払うか」

    というようなことだ。

    「母の年金はどのようなことになら使っていいか」という点もある。

    そんな感じで月に一度は騒動があった。

    母が倒れたという事実だけじゃなく、そうした人たちの都合まで自分にしわ寄せが来たわけだ。
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  • デイサービスのいろいろ
    デイサービスというものは、その実態はいろいろである。
    どこもさほど空きがなく、母は週3回の利用にあたって、
    3箇所に振り分けられた。
    その事によって複数のデイサービスセンターの様子を伺うことができた。

    複数のデイサービスセンター

    次の3箇所

    1. ケアマネジャーがいるプランセンターのようなものに併設された、公的なデイサービスセンターA
    2. 株式会社が運営するデイサービスセンターB
    3. 別の株式会社が運営するデイサービスセンターC
    とまあそんな感じだ。

    最初は、AとBだけだったが、介護保険の枠的にもう一回くらい利用できるということで、Cが加わった。

    ある意味問題になったのは母が叫ぶということ。

    AとCは現地に見学も行った。

    Bには行かなかった。
    というより、見学に行く前にトラブルになったからだ。

    母は叫ぶ。基本的には断続的に。
    そして、姿勢を寝る姿勢から座る姿勢に定期的に変えないと、息が苦しいと訴える。

    興奮すると叫び続ける。

    そういう事もあってか、興奮した時用に頓服薬として向精神薬が渡されていた。
    さらに言うと、元々脳出血で倒れているので、興奮による血圧上昇で再発のようなことが起こらないようにという意味合いもある。

    という感じだが、デイサービスセンターのBは、毎回頓服を服用させて、利用時間中ほとんど眠らせていた。

    夜間の中途覚醒

    その影響で、夜間の中途覚醒がひどくなり、家族が疲弊した。

    つまり、デイサービスセンターは日中母を向精神薬で眠らせているからこそ、夜に起きてしまうということだ。

    薬を確認すると、デイサービスセンターBに行った時は毎回その頓服薬が減っていた。

    「頓服と言っているじゃないか」

    というと、

    「叫ばれると他の利用者の迷惑になります」

    という回答が来た。

    それは理解できるが、薬で眠っている母は夜に起きる。
    自分たちは眠らせて楽をして、夜に面倒を見る家族に押し付けているだけじゃないか。

    「興奮」の定義が曖昧で結局投薬、そして夜に覚醒

    「興奮」の定義を曖昧にしたということも問題だったのかもしれない。
    医師の指導もあったが、結局は、そのような対応のところには預けられないという家族みんなの判断のもと、そのデイサービスセンターの利用はやめることにした。

    昼に眠られ、夜に起きられると、家族は苦痛を得ることになる。

    それならば、まだ介護ヘルパーのサービスを断続的に利用して、昼間をしのいでいる方がマシだ。

    まあ、デイサービスセンターといえど運営は株式会社。
    一応営利の追求が目的だからな。

    公的なデイサービスセンターAと、別の株式会社が運営するデイサービスセンターCは、所長にも会ったが、叫んだとしても可能な限り薬の服用はしないという猛者たちだった。
    彼らは服用の基準を医師と相談し、血圧や拍動数などなにかの目安を作ったらしい。

    デイサービスセンターCの所長は若いがしっかりしていた。
    率先して母の面倒を見てくれていたようだ。
    ただ、その後そこの職員(50代)と母がトラブルになり、結局そこも行かなくなった。

    結局は公的なデイサービスセンターAだけが残った。

    ただ、その後母は行きたくないと言いだした。

    なのでおそらく行っていない。

    デイサービスセンターに行っている時に入浴するということだったが、行かないと風呂に入れない。
    しかし訪問入浴というサービスはデイサービスセンターを一日利用するのと同じくらいの費用が必要になる。

    そのような問題も、結構起こった。
  • ホームページの相談先と無料相談
    ホームページの相談先と無料相談について。
    無料相談を実施しているホームページ制作会社、Web制作会社に相談した場合、最終的には相談先サービスの営業を受けるだけになるのではないか?とも思います。
    新規ホームページ制作やリニューアル自体が必要ではない場合があります。
    それ自体に検討が必要で、ホームページ自体が必要かどうか、制作・公開するとすれば、何をどの程度までできるのか?という点を再確認、再検討するとよいのではないかと思います。

    無料相談で得れるもの

    確かにホームページの全体像やホームページ集客の流れの把握、明確化など一定の有益な情報を得ることができるとは思いますが、結局その会社の力量と営業視点に左右されます。
    ホームページを利用する予定かという点によって相談内容は大きく異なってきます。
    無料相談は構造上どうしても客観性に欠いたものとなるのは仕方ないと思います。

    ホームページ制作・リニューアルの無料相談と有料サポート
  • 絶望に価値が生まれる時
    絶望に価値が生まれる時、それは本当に絶望しきった時。

    全く望みがない状態になると思考は止まる。

    思考自体に意味がなくなる。

    そうなると抵抗がなくなる。

    望みがあると欲や怒りとなる。

    その欲や怒りが亡くなる。

    五感の感覚はあるが、精神が形成する苦しみはなくなる。

    そして物事はうまく展開していく。

    つまり最適化か。

    その時、絶望というものに価値が生まれる。

    絶望の価値

    しかし、絶望に価値をつけようとする期待、つまり望みが生まれると、そうした絶望には価値が生まれなくなるというパラドックスがある。

    思考の面では、自我の面では、自分を取り戻すという価値がある。

    世の倫理観や「うまくやろう」という思考が生む抵抗が外れる。

    そうすると本来の姿を取り戻す。
  • 形態素を気にしているならユニークにすればいいじゃないか
    形態素を気にしているならユニークにすればいいじゃないか。
    人工知能が求めていることは正確性の精度を高めることと同時に、
    今までに学習したこと以外のユニーク性である面がある。
    まあ形態素解析というやつで、どれだけ頻出しているかということも重要視するが、新しい情報も欲しい、ただ、一人しか言っていない場合はほぼ無視という感じか。
  • インデックスされないならある意味思い切ってできる
    インデックスされないならある意味思い切ってできる。
    まあ多少はされているようだけど。
    このドメインなんかは弱いからな。
    でも、あまり見られないからこそやりやすい。
    それができないなら鍵をつけてもいい。
    しかしサービスが廃止されたりもするからな。
    ローカルで書いてもいいが、それはまた違う。
    人工知能が検索に影響を与えだしてから、
    取捨選択がすごくなった気がする。
    インデックス除外をよくやる。

    何様感もあるが、まあ致し方ないだろう。
    別に除外にしたければすればいい。

    Webの面白さは、情報やユーザーとの突然の出会いという面があった。

    どんどん正確性は増していくが、最適化が進むにつれて
    そうした偶然の出会いのようなものは減っていくんだろうな。
  • 母が倒れて自分が失ったもの
    母が倒れて自分が失ったものは大きい。

    それは自分がマザコンというわけではない。
    むしろかなりドライな方だろう。

    娘にとっての安全基地の一つとしての祖母。

    それを失ったのが一番大きい。

    これは自分が倒れた時に、娘を保護してくれる親族がいると思える方が、
    自分自身が安心できるという点である。

    まあ細かいことを言えば、金銭面も多少は助かっていた。
    娘のおもちゃとか、妻と娘とたまに自分の昼食代等々だけど。

    脳出血がそのすべてを奪っていった。

    奪い、失われただけではなく、
    負担までやってきた。

    今では、24時間、介護事業者が世話をしてくれているが、
    最初の二ヶ月は、自分と実家家族と、一般的な介護サービスの利用のみで介護をしていた。

    「母が消えないと、人生が終わる」

    本当にそう想った。

    仕事をしていられない。

    かといって、実家家族だけに負担をさせると、彼らが倒れる。

    まだ安心できたのは週3のデイサービスの利用時だけだった。

    ゴミクズの協議会

    何とか協議会はゴミクズ。

    社会福祉の名の下だが、実態はゴミクズ。

    自分たちの論理の押し付けだけ。

    話していると調子が狂うよ。

    カスだらけの居直りが多いから。
  • 倒れる前の母(おばあちゃん)と娘
    倒れる前の母は、娘の面倒をよく見てくれていた。
    まあ買い物がほとんどだけど。
    だから娘にとっての愛着の対象でもある。

    母が倒れて家に来なくなった時、
    宅急便が来ただけでも、
    「おばあちゃんがきたかもしれない」
    と思って、よく玄関に走っていっていた。

    そして、違うとわかると
    「〇〇ちゃんかわいいねーっておばあちゃんがくる!」
    って泣き出すんだ。

    だから、自分としては自分が母を想っているというよりも、
    こういう関係性が壊れたことに悲しみが大きんだ。
  • 母との今までとこれからをどう捉えればよいのか
    母との今までとこれからをどう捉えればよいのか。

    もし自宅介護(実家)でどんどん調子が良くなってきたら、
    娘の幼稚園イベントに車椅子ででも連れて行くつもりだったし、
    そこまでいかなくても娘といっしょによくいってくれていたモールとかさ、
    そんなところに行こうと思ってたけど、


    認知科学云々の人たちさ、

    これ、現状の外側だけど。

    現状の外側だけど何ともならないじゃないか。

    脳が正常に機能していないから、って言い返すんだろうけどさ。

    MRIでは、一応大脳は正常な機能を保ってんのよ。

    まあ小脳、脳幹とそれに関わる脳の血流量の低下はあるけどさ。


    母は、生きていて辛いだけなんだろうか?

    周りの人間は、母と関わって辛さの方が大きいんじゃないだろうか?

    もちろん他人である自分が決めることではないが、

    もし、本人も生きていて辛いだけで、周りの人たちも辛いだけなら、母はさらに辛いだけじゃないか。

    もちろん、他人が勝手に妄想することではないけど。
  • 私の大切な人たち
    私の大切な人たちは、別にもいる。
    妻と娘である。

    母との関係を良好にしておきたいが、
    会ってもすぐに興奮し、叫ぶだけの母に会っても、
    正直何にもならない。

    そして、改善の兆しもないようなそんなことに関わっている間、
    仕事や妻や娘との関わりが薄くなってしまう。

    極端に言えば、仕事はなくなり、破産に向かう。

    今の家族を保つことができなくなる。

    おかあさん。

    叫ぶのやめてよ。

    すべてが壊れるじゃないか。
  • 「叫び」は母との思い出を破壊するもの
    「叫び」は母との思い出を破壊するものになった。

    母に会いに実家に行ってもほとんど叫んでいる。
    特に父が登場すると叫ぶ。

    こちらが関わることで少しの不快感があるとすぐに興奮する。

    そして叫ぶ

    「おかーちゃん。
    おかーちゃん。おかーちゃん

    実際の母の母は既に他界している。

    これはよくあることだろうが、保護者を求めている時にこうした言葉が出る。

    表現は悪いが、半ば狂人に近い状態である。

    通常の会話が成り立つこともあるが、半分以上成り立たない。

    横にいて支えていても後ろに仰け反る。

    それがあまりに力強いので、少し待ってくれというと

    「なんで私ばっかり責められなければならないのか」

    ということを言い出し

    「帰れ!」と叫び出した。

    自分と母との数十年間の関係性が見事に壊れていきそうだ。

    体が動かない、それをサポートするというのはさほど気にならない。

    しかし、表現は悪いが、今、半ば狂人と化した母と接して何になるのだろう?

    辛い思い出ばかりで上塗りしていくだけじゃないか。

    優しかった部分、厳しかった部分、しっかりしていた部分、だらしない部分、それらを微笑ましく思い出したり、また、笑ったりすることもできなくなる。

    はっきり言えば、医者もさじを投げている。

    そりゃあ彼らも思いつくことはすべて試しただろう。

    これは、家族とは何か、生きているとは何か、生命とは何か、人生とは何か、人間とは何かという領域にまで踏み込んでいる。
  • 脳出血後の母の叫び
    脳出血後、リハビリ期間を経て、少しだけ体が動くようになった母。
    ただ、脳の血流量の関係からか、前頭前野が働きにくく、情動を抑制することができない。
    身体の不快感等から消極的な考えもブーストされる。
    そして叫ぶ。
    入院していてリハビリをしていた頃、特に前期はまだそうした症状はなかった。
    ある時息苦しくなってナースコールを押したにも関わらず誰も来なかったことがあった。
    そしてそれから叫ぶことが多くなった。
    身体を拘束されていた時期もあった。
    向精神薬で感情を抑えるという対症療法的な措置が取られた。

    しかし、自宅介護になってから、その叫びは日に日に増した。
  • ヒゲ、メガネのおしゃれ
    ヒゲ、メガネのおしゃれは、誰が誰かわからない。
    おしゃれと思える感性が寒い。ヒゲ、メガネ!
    ヒゲ、メガネ!ヒゲ、メガネ!ヒゲ、メガネ!ヒゲ、メガネ!
    縁の太い眼鏡もヒゲも自信のなさからきている。

    ヒゲ、メガネの面白さ

    ヒゲと縁の太いメガネは自信のなさの象徴。
    だいたいどこかでモテようとしているね。
    ヒゲのくせに。
    縁の太いメガネで自分を隠しているくせに。
  • 太秦 いさら井と一ノ井遺跡
    京都太秦にある いさら井と一ノ井遺跡。いさら井は広隆寺のすぐ横にある古井戸。

    広隆寺のすぐ近くなので、嵐電の太秦広隆寺からすぐ行ける

    いさら井と一ノ井遺跡 京都市右京区
  • 飲食店サイトのアレルギー情報表示
    飲食店サイトのアレルギー情報表示
     
    飲食店ホームページ用のアレルギー情報表示の掲載例の紹介。
    飲食店においては食品表示法で定められているアレルギー表示の義務が適用されないため、飲食店におけるアレルギー表示は、原則として義務化されていません。
    しかし、可能な限り特定原材料8品目(えび、かに、くるみ、小麦、そば、卵、乳、落花生)については対応しておいた方が良いと思います。ホームページ(ウェブサイト)上においても、同様に可能な限り表示しておくとアレルギー対応が必要なユーザーの役に立ちます。
     
     
     
    店舗内やホームページ上にアレルギー情報があると、来店者、来店予定者の安心度が高まります。
     
    飲食店でも自主的にホームページでアレルギー表示をしているところもあります。とりわけ大手飲食店においてはアレルギー情報一覧表の記載が進んでおり、「アレルギー物質を選択し、選択した物質が含まれないメニューが表示される検索機能を持ったホームページ(ウェブサイト)」もあります。
  • 御室仁和寺 八十八ヶ所
    成就山・御室八十八ヶ所霊場 四国の八十八ヶ所は、四国にある空海ゆかりの88か所の寺院の総称。 こちら御室八十八ヶ所はその場所の土を埋め込んだ京都の八十八箇所
  • ある元サッカー選手の本性
    ある元サッカー選手、というよりサッカー界レジェンドの本性。Kかな。
    蹴球唾吐
  • うるさい灯油販売者
    冬になるとうるさい灯油販売者が街を騒音で満たす。
    こうした爆音の灯油販売車は然るべき方法で行政に通報することで撃退する事ができる。
    せめて家の前だけでも静かにしてほしいと思うなら、通報することだ。
    灯油販売の拡声器の使用による宣伝はたいてい条例違反。

    爆音の灯油販売車を撃退する 業者が出す騒音は行政が対応してくれる。
  • 威圧に利用される「能ある鷹は爪を隠す」
    「能ある鷹は爪を隠す」という言葉は時に威圧に利用される。実力のある者は、それを見せつけるようなことはしないというような意味を逆手に取って威圧に利用するおじさんがいる。
    「能ある鷹は爪を隠す」の使用例
  • 霊感商法はニュースになるような業者だけではない
    霊感商法はニュースになるような業者だけではない。一般的な宗教法人でも収益の理屈を考えてみれば霊感商法と同じ。いわば人の心につけこむビジネスとしての要素がある。

    墓ビジネスは儲かるのか?(霊感商法)
  • 妖怪 袖引小僧
    妖怪 袖引小僧
    袖引小僧は埼玉地方に現れるいたずら妖怪。
    夕方、日の落ちた道を歩いていると後ろから着物の袖を引くものがいるのでびっくりして振り向いてもそこには誰もいない、という現象は袖引き小僧の仕業。
    妖怪「小僧」
  • 女妖怪 鍛冶媼
    女妖怪 鍛冶媼
    鍛冶屋の妻が、夜道に迷って狼に取り囲まれて食い殺されてしまった際に霊が狼に乗り移ったのが鍛冶媼(かじばばあ)。その後、旅人を食い殺すようになった。出現地は、土佐(高知県)。
    女妖怪
  • 妖怪 豆腐小僧
    妖怪 豆腐小僧
    大きな笠をかぶり、盆に乗せた豆腐を手に持っている子供の姿の妖怪豆腐小僧。雨の日に竹藪から出現する。豆腐をうっかり食べてしまうと、体にかびが生えてしまう。出現地は、薩摩今泉。

    妖怪「小僧」
  • 妻への絶望 愛別離苦なのか怨憎会苦なのか
    妻への絶望について。
    愛別離苦なのか怨憎会苦なのか、いやどちらもだろう。
    かつては育児に対して尊敬の念も持てた。
    少ない睡眠時間の中、母乳を与える姿なんかは特にね。

    それがあれば、夜の生活がなくても、受け入れることはできる。
    家事が追いついていなくても、全く気にならなかった。

    しかし、問題は幼稚園に入ってからだ。
    時間も体力も余裕ができた。
    しかし結局、ママ友との交流、クラブ活動を優先し、
    挙げ句は子どもよりママ友とのLINEを優先する。
    もしくはメルカリ。
    メルカリやLINEに集中したいからと、娘を蔑ろにする。
    かまって欲しさに子が声を上げても、子に怒り出す。

    そんな中、こちらはもっと適当に扱われる。

    そんなのは限界だ。
    かつては愛を持てた。
    しかし、今はどうだろう。

    クソマンのサゲマン。

    自己評価を下げる存在でしかない。
    たしかに多少の労力はマシになっている。
    しかし、意識の矛先はどこにあるのだろう。

    結局は何かしらの世間体。
    なぜ、家族を最優先にしないのか。
    それは面白くないからだろう。

    ただ遊んでいるだけじゃないか。

    一度はっきりと言った時、妻は発狂した。

    「ああああああ」と叫んで、泣いていた。

    改心したかと思ったが、そんなのは数ヶ月だけの効力だった。

    正直めんどくさい。

    ただ、好きになれと言って好きになってもらうというのは違う。
    子をもっと好きになれと言っても、本心が違うのなら、どうせ嘘になる。

    カネの面も労力の面も限界まで費やしたつもりだ。

    それでも余裕ができて遊ぶだけなら、
    ナメられているとしか思えない。

    どうせいざという時に何もしてくれないような人脈もどきを優先するというのはおかしいが、そっちが好きならそっちに養ってもらえ。

    もう、女としても要らない。
    クソマンのサゲマンだからな。

    そんなことを思いたくはないが、それが本音だ。

    愛するものと分かれる苦しみ、
    そして毎日のように嫌いなものと会わねばらぬ苦しみ、
    その両方だ。

    相手に変わってくれというのはおこがましい。
    しかし、自分と子のためには、どうにかするしかないと思っている。


    そんなことを考えさせないでくれ。
    普通に夜も心置きなくガンつきできればいいんだが、
    ハイコストローリターン。
    割に合わない。
    気兼ねなしにすべてのことが運ぶようになってくれ。

    もうそろそろ限界だ。

    そんなことを思って何年何ヶ月だろう。

    少しマシになるかな、なってきたかなと思うと、
    何かしらの理由ですぐに駄目になる。

    相手の人格なんて気にしたくないんだ。

    こんな人生は真っ平だ。

    毎年冬になると、この世から去りたくなる。


    「愛別離苦」愛するものと別れる苦しみ

    「怨憎会苦」嫌いなものと会わねばならぬ苦しみ


  • 能ある鷹は爪を隠すの悪用
    能ある鷹は爪を隠すの悪用。元の意識が自尊心欠落状態だと、言葉の解釈も悪用に向かう良い例である。

    威圧に利用される「能ある鷹は爪を隠す」