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さよなら自分

さようなら

"日々の思索"カテゴリーの記事一覧

  • まあ様々なことがあったが、とにかく最強感が出てきた
    まあ様々なことがあったが、とにかく最強感が出てきた。

    こういうタイトルのほうが検索エンジンに拾われないから良いような気もする。

    しかしながら、何となく自分に許可していないものをもっと掘り下げるほうがいいな。

    たぶん、もっと自由に論理から離れて暮らすのがいい。

    むかし、15年位前、ものすごい現象の展開が起こった。
    実際何でもありだ。

    「制限などない」
    まさにそれを体現したような現実だった。
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  • 今日はどんな一日?
    今日はどんな一日?

    ということを娘に聞かれるのが少し辛い。

    時間と自由はあるが、特に誇れることをしていない。

    そんな気がする。

    何もしていないことはない。

    でも、何にもなっていない。
  • 情報の価値
    4つだけインデックスされてるみたい。
    まあそれくらいでいい。

    別に人に来てほしいとは思わない。

    AIで世の中がつまらなくなったな。
  • 本家で語れないゴミ捨て場
    ここは本家で語れないゴミ捨て場的機能がある。
    といっても本家で語ってもいいんだけど。

    Xとかは炎上するじゃない?

    だから、ドメインが弱くてしょぼすぎる忍者でやるわけだ。

    でも見られてもいいけど。

    最近はAIでガンガンコンテンツが量産されていて、
    ちょっとした文は「ほぼ価値なし」になってきている。

    いや、本質的に価値がないわけではないんだけど。

    むしろ本質的には価値があるんだけど。

    つまらん時代になったなぁ、と思いつつ、一応Googleは対策をしてるみたい。

    それでもGPTへの対抗として、AI Overview出すようにしてるからな。

    ゼロクリック。

    まあそれはそれで全部のサイトが玄人好みになるか…

    最近は猫も杓子もスマホスマホで、1秒でも長く使ってもらうためにアプリ化。

    まあアプリなら、ロゴくらいはたまに見られるしな。

    それくらい人の意識の奪い合い。



    ここはゴミ捨て場といえばゴミ捨て場だけど、たたき台と言えばたたき台なんだ。

    うねる情報をいったん目の前に並べる。

    そしてそれから本家でちゃんとまとめるって感じ。

    これ、本当に手打ちで打ってるけどさ。

    世界には何のやくにもたたんのだろう。

    でも、個人的にたたき台としての価値があれば、それでいいかなとも思ってる。
  • うまくいっている人への僻み
    あいつはあれだな。「うまくいっている人への僻み」だな。
    それを長居すんなって論調に変えて当たっているだけ。
    本人が自己啓発本を店内にも置いて、
    さらに成功者(笑)になろうとしているけどうまくいかない。
    それを実現している人たちが目の前に現れて僻み炸裂。
    あれは障害。糖質。そして性格が悪い。
    根底には支配欲があるんだ。
    でも何者にもなれない。
    押し付けがましいメッセージを店内に散りばめて、
    すごい人だと思われたいというものを表現している。
    あげく、僻み。
    「自己啓発語るならわかるでしょ」
    は?
  • 自己啓発語るならわかるでしょ
    たまたま夢をかなえるゾウの水野敬也氏の話をしてたんだ。
    そしたら長居すんなってさ。そんなにしてないけどな。
    「自己啓発語るならわかるでしょ」
    となぜか自己啓発と言うワード。
    完全に糖質。
  • クソちゃんぽん屋
    京都の某クソちゃんぽん屋は完全に糖質。
    体育会系で努力するのは好きなのだろう。
    ただ、本質的には承認欲求と支配欲の塊。
    教員を目指すというのは、結局大人に相手にされないから
    子どもなら支配できるだろうという予測。
    糖質。
  • 会社ホームページ社員が顔出しする危険性
    会社のホームページを見ていると、最近は「社員紹介」や「スタッフの声」といったページを作っているところが増えてきていますよね。ぱっと見ではすごくいい雰囲気が伝わるし、実際に顔が出ていることで安心感も生まれます。採用を考えている人にとっては「この会社はこんな人たちと一緒に働くんだ」とイメージしやすいし、お客さんからしても「ここは信頼できそう」と思ってもらえる効果があります。
     
    ただし、ここでよく考えないといけないのは、顔を出すのが役員ではなく、一般の社員である場合です。役員は会社の看板として公に名前や顔を出す立場だから、多少のリスクは仕事の一部として受け止めていることが多いです。でも、一般社員はそうではありません。入社して数か月の人、契約社員、アルバイト、パートといった立場の人まで顔を出してしまうと、予想以上に大きなリスクを背負わせることになってしまうのです。
     
    一番わかりやすいのは、やっぱりプライバシーの問題です。ホームページに一度顔写真を載せたら、それは半永久的にネットに残ることになります。会社が削除しても、検索エンジンのキャッシュや、アーカイブサービス、あるいは第三者が保存して拡散してしまう可能性はゼロではありません。本人が退職して「もう消してほしい」と思っても、完全に消える保証はないんです。これが役員なら「しょうがない」と割り切れる場合もありますが、一般社員にとっては人生における大きな負担になることもあります。
     
    そして今の時代は、写真の悪用リスクが一段と高まっています。昔なら単に写真をコピーされる程度でしたが、いまはAIによる画像生成やディープフェイク技術が進んでいるため、顔写真さえあれば本物そっくりの動画や別シーンに合成されることが可能になってしまいました。無断で広告に使われたり、なりすましアカウントのアイコンにされたりすることも十分に考えられます。もし詐欺に悪用されたら、本人だけじゃなく会社自体の信用も大きく損なわれますよね。
     
    退職後の扱いも大きな問題です。社員紹介ページに載っていた人が退職したとき、その写真をすぐに削除できるかどうか。役員なら退任の発表などがあるので自然に整理されますが、一般社員は忘れられてしまうことが多いんです。結果として「この人まだ在籍している」と誤解されるケースも出てきます。退職した本人からしても「もう会社と関係ないのに、顔が出たまま」という状況は望ましくありません。場合によっては法的に削除を求められることもあり、トラブルに発展する可能性もあります。
     
    さらに怖いのは、サイバー攻撃や詐欺のターゲットにされることです。社員紹介ページにフルネームと部署や役職まで載せてしまうと、そこからSNSアカウントを突き止めたり、住所や過去の情報を探し出されたりすることがあります。「営業部の〇〇さん、先日の展示会でお会いしましたよね」といった電話やメールで騙されるケースもあります。実際に企業を狙った標的型攻撃メールでは、社員の名前を騙ったメールがよく使われています。顔と名前が公開されていると、悪意のある第三者からすれば格好の材料になってしまうんです。
     
    心理的な負担も侮れません。ホームページに顔が載ると、お客さんから「サイトで見ました」と声をかけられる機会が増えます。営業職ならそれがむしろ仕事にプラスに働くこともあるかもしれませんが、経理や総務のように直接顧客対応をしない社員にとっては、ただのプレッシャーになります。

    しかもネット社会では、顔が知られることで全く関係ない人からSNSで声をかけられたり、写真を使ってからかわれたりすることだってあります。本人が内向的な性格ならなおさら、仕事とプライベートの境界を壊されるようなストレスを抱えるかもしれません。
     
    会社としても、リスクを軽く見てはいけません。社員の顔写真を載せる場合は、必ず本人の同意を得る必要があります。しかも「口頭で了承をもらったから大丈夫」では足りません。後から「そんなの聞いてない」と言われたときに証拠を出せるように、書面やメールなど残る形で同意を取るべきです。

    これを怠ると、肖像権の侵害として訴えられる可能性だってあります。企業側は「宣伝のつもりだった」と言っても通用しません。社員の権利を侵害したことになれば、会社の責任問題に発展します。
     
    ではどうすればいいのか。顔出しを全面的にやめるのも一つの方法ですが、それだと温かみが伝わらないとか、採用活動に不利になると考える会社もあるでしょう。そういう場合は、リスクを減らす工夫が大事です。たとえば顔写真は集合写真の一部だけにするとか、名前は苗字だけにして個人を特定しづらくする。もしくはイラスト風に加工してリアルさを和らげる方法もあります。また「顔を出すのは任意です」というルールを明確にして、希望する人だけが掲載されるようにするのも重要です。
     
    さらに、退職時には必ず顔写真を削除する仕組みを作っておくこと。これをルール化しておかないと、削除漏れが起きてトラブルにつながります。また、無断転載を防ぐために写真に透かしを入れる、解像度を下げるなどの方法もあります。完璧に防ぐことはできなくても、悪用されにくくする工夫はできます。
     
    役員と一般社員の立場の違いをしっかり認識しているかどうかがポイントです。役員は会社の顔として出るのが仕事の一部ですが、社員はそうではありません。本人が「顔を出したい」と思っているなら問題ないですが、嫌がっているのに会社の都合で無理に出させるのは大きなリスクを生みます。企業は短期的なイメージアップだけを考えるのではなく、社員一人ひとりの将来やプライバシーを尊重する姿勢を持つべきです。
     
    会社がこれから社員紹介ページを作ろうとしているなら、単に「写真を載せたら雰囲気が良くなるよね」という軽い発想ではなく、「本当に本人が納得しているか」「辞めたときにどう対応するか」「悪用されたらどう守るか」という具体的な想定を持って準備することが欠かせません。社員にとって安心できるルールがあれば、顔出しのメリットを活かしつつ、リスクを最小限に抑えられるはずです。
     
    社員の顔出しは諸刃の剣なんです。うまく使えば会社の魅力を伝える強力な手段になるけれど、安易にやれば大きなトラブルの火種にもなる。その違いを分けるのは、会社がどれだけ社員を大切にし、リスクを真剣に考えているかにかかっています。

    ホームページに顔写真や実名掲載は必要?信頼を築く別の方法
  • 世界からカツアゲされる男
    「世界からカツアゲされる男」おそらくこの1年の僕を一行で表現すればそのような言葉が一番似合います。
     
    金銭はもちろん、時間、気力、体力、ありとあらゆるものをカツアゲされています。
     
    時折ビートたけし氏が出てきて
     
    「世界からカツアゲされる男。誕生日にもらったのは母の絶叫でした。さあこの次はどのような行動が、どのような裏目に出るのでしょうか?」
     
    と語ってくれます。
     
    全てにおいて共通しているのが、「僕のせいではない」という点です。
     
    昨年末にしても頭のおかしいヘルパーが母を興奮させたので、帰らさざるを得ないということになり、その割に「代わりがいない」などとぬかされて看るものがいないため絶叫を浴びにいったわけです。
     
    支払いの関係で妻の携帯電話は僕の名義なのですが、その手続に同席しに行った時に、店員が「クレジットカードの営業」をしてきたので断ると睨んでくるんです。
     
    僕が契約したいわけではないんです。
     
    なのに睨まれるのは僕なんです。
     
     
    銀行から資金調達しようとすると、法人登記をしている実際の物件住所は不動産登記上少し番地が違うので登記住所を変更しろと言われたりもしたんです。
     
    登記変更には3万円もかかります。それにいろいろな登録情報、表記の変更も必要になります。
     
    嫌だと言ってやりました。
     
    支店長さんの配慮で登記変更は不要になりましたが、このときもカツアゲされかけたんです。
     
    さらに、仕事が遅いので事業年度が変わり、納税証明を二回提出されられたりもしました。
     
    相手の仕事が早ければ、前年の分だけで良かったんです。
     
    相手がダラダラしているから、事業年度が変わり、最新の証明が必要になってもう一枚発行させられたんです。
     
    微々たるものですが、これもタダではないんです。
     
     
    家にもきちんとお金を入れているんです。
     
    でも、何故か引き落としが間に合わなかったみたいなことが連続しました。
     
    おかげで何度も納付書で数万円払うことになりました。
     
    人にお金の管理を任せられません。
     
    信用して任せたいですが、結果はそんなもんです。
     
     
    そういうのが自分の注意不足等々ならば責任も感じることができるんです。
     
    でも、ほとんどというかすべてにおいて、僕のせいではないんです。
     
    僕はできることをすべてこなしているはずです。
     
    それでも他人の失敗やズボラ、注意不足のツケが最終的に僕に回ってくる、と。
     
    つまり、「世界からカツアゲされる男」です。
     
    それで色々と見渡しましたが、総合的に勘案すると、そのカツアゲされたものは最終的にどこに行くのか、何が原因かという点を考えれば、スマホ依存です。
     
    依存させるように手を貸している脳科学者などもいるようです。
     
    「いらない場合はチェックしてください」と書いたらいいですよ、などというこぜこいテクニックを推奨する行動経済学や、そうした脳科学者が、人々の時間と気力とドーパミンを奪っていきます。
     
    それで頭が湧いて、結局そうした者に汚染されていないものがツケを払うんです。
     
    そしてツケを払った上で、ツケを払わせた方は何をしているのかというとスマホです。
     
    ツケを払ってもらった分、何かで返そう、などという気はありません。
     
    しんどいから手伝ってくれと言われて、一生懸命やっているのかなと思ってみると、じつは違うんです。
     
    人にやらせて、自分は浮いた時間でスマホを触りたいんです。
     
    別に環境がスマホオンリーというわけではありません。
     
    父にしても、ちょっと部屋を除くと謎のネット右翼系YouTubeを流しっぱなしにしていました。
     
    頭のおかしいヘルパーの頭がオカシイのも、そうしたものが絡んでいるようにしか思えませんし(母が寝ている間スマホをいじっていました)、「疲れているから代わりにやって」というお願いの裏には、スマホ依存による疲れがあり、結局僕はスマホ依存の「スマホを触りたい」のために、金銭や時間や労力を奪われているということがよくわかりました。
  • 仲の良い夫婦 夫婦仲の秘訣
    仲の良い夫婦 夫婦仲の秘訣は男の自信。
    結局男の自信だけなんです。
    ただ、状況によっては自信を喪失してしまうこともあります。
    でも、妻に支えてもらおうとしてはいけないんです。



    夫婦仲の秘訣は「あれこれをしてくれる」云々、「こういうところがいいと思う」云々、様々な意見がありますが、どれも本質とは異なります。
    男側の自信です。それだけです。
    その自信に根拠がなければないほどいいですね。

    夫婦仲の秘訣
  • 親子喧嘩の緊張
    母が倒れて起こった問題の一つが、自分以外の実家家族たちの軋轢だ。
    基本は親子喧嘩。ちなみに警察が数回出動している。
    ゴルフクラブを振り回したりするほどの騒動だ。
    近所の人の植木鉢を割ったりさ。

    で、実家家族から電話があるかもしれないと思うと、毎日緊張した。

    電話が来たところで解決できない問題はないし、どうということもないが、対応に時間を取られるのがめんどくさかった。

    こっちにも守る家族と仕事があるんだ。

    という気分。

    母に関することなら彼女は動けないのだからもっと気にならなかっただろう。

    しかし母が管理していた実家の家計をどう扱うかといったところで、
    仲の悪い男たちがよく喧嘩になっていたわけだ。

    生活費全般にわたって

    「あの金は誰が払うか」

    というようなことだ。

    「母の年金はどのようなことになら使っていいか」という点もある。

    そんな感じで月に一度は騒動があった。

    母が倒れたという事実だけじゃなく、そうした人たちの都合まで自分にしわ寄せが来たわけだ。
  • 母が倒れて自分が失ったもの
    母が倒れて自分が失ったものは大きい。

    それは自分がマザコンというわけではない。
    むしろかなりドライな方だろう。

    娘にとっての安全基地の一つとしての祖母。

    それを失ったのが一番大きい。

    これは自分が倒れた時に、娘を保護してくれる親族がいると思える方が、
    自分自身が安心できるという点である。

    まあ細かいことを言えば、金銭面も多少は助かっていた。
    娘のおもちゃとか、妻と娘とたまに自分の昼食代等々だけど。

    脳出血がそのすべてを奪っていった。

    奪い、失われただけではなく、
    負担までやってきた。

    今では、24時間、介護事業者が世話をしてくれているが、
    最初の二ヶ月は、自分と実家家族と、一般的な介護サービスの利用のみで介護をしていた。

    「母が消えないと、人生が終わる」

    本当にそう想った。

    仕事をしていられない。

    かといって、実家家族だけに負担をさせると、彼らが倒れる。

    まだ安心できたのは週3のデイサービスの利用時だけだった。

    ゴミクズの協議会

    何とか協議会はゴミクズ。

    社会福祉の名の下だが、実態はゴミクズ。

    自分たちの論理の押し付けだけ。

    話していると調子が狂うよ。

    カスだらけの居直りが多いから。
  • 倒れる前の母(おばあちゃん)と娘
    倒れる前の母は、娘の面倒をよく見てくれていた。
    まあ買い物がほとんどだけど。
    だから娘にとっての愛着の対象でもある。

    母が倒れて家に来なくなった時、
    宅急便が来ただけでも、
    「おばあちゃんがきたかもしれない」
    と思って、よく玄関に走っていっていた。

    そして、違うとわかると
    「〇〇ちゃんかわいいねーっておばあちゃんがくる!」
    って泣き出すんだ。

    だから、自分としては自分が母を想っているというよりも、
    こういう関係性が壊れたことに悲しみが大きんだ。
  • 母との今までとこれからをどう捉えればよいのか
    母との今までとこれからをどう捉えればよいのか。

    もし自宅介護(実家)でどんどん調子が良くなってきたら、
    娘の幼稚園イベントに車椅子ででも連れて行くつもりだったし、
    そこまでいかなくても娘といっしょによくいってくれていたモールとかさ、
    そんなところに行こうと思ってたけど、


    認知科学云々の人たちさ、

    これ、現状の外側だけど。

    現状の外側だけど何ともならないじゃないか。

    脳が正常に機能していないから、って言い返すんだろうけどさ。

    MRIでは、一応大脳は正常な機能を保ってんのよ。

    まあ小脳、脳幹とそれに関わる脳の血流量の低下はあるけどさ。


    母は、生きていて辛いだけなんだろうか?

    周りの人間は、母と関わって辛さの方が大きいんじゃないだろうか?

    もちろん他人である自分が決めることではないが、

    もし、本人も生きていて辛いだけで、周りの人たちも辛いだけなら、母はさらに辛いだけじゃないか。

    もちろん、他人が勝手に妄想することではないけど。
  • 私の大切な人たち
    私の大切な人たちは、別にもいる。
    妻と娘である。

    母との関係を良好にしておきたいが、
    会ってもすぐに興奮し、叫ぶだけの母に会っても、
    正直何にもならない。

    そして、改善の兆しもないようなそんなことに関わっている間、
    仕事や妻や娘との関わりが薄くなってしまう。

    極端に言えば、仕事はなくなり、破産に向かう。

    今の家族を保つことができなくなる。

    おかあさん。

    叫ぶのやめてよ。

    すべてが壊れるじゃないか。
  • 「叫び」は母との思い出を破壊するもの
    「叫び」は母との思い出を破壊するものになった。

    母に会いに実家に行ってもほとんど叫んでいる。
    特に父が登場すると叫ぶ。

    こちらが関わることで少しの不快感があるとすぐに興奮する。

    そして叫ぶ

    「おかーちゃん。
    おかーちゃん。おかーちゃん

    実際の母の母は既に他界している。

    これはよくあることだろうが、保護者を求めている時にこうした言葉が出る。

    表現は悪いが、半ば狂人に近い状態である。

    通常の会話が成り立つこともあるが、半分以上成り立たない。

    横にいて支えていても後ろに仰け反る。

    それがあまりに力強いので、少し待ってくれというと

    「なんで私ばっかり責められなければならないのか」

    ということを言い出し

    「帰れ!」と叫び出した。

    自分と母との数十年間の関係性が見事に壊れていきそうだ。

    体が動かない、それをサポートするというのはさほど気にならない。

    しかし、表現は悪いが、今、半ば狂人と化した母と接して何になるのだろう?

    辛い思い出ばかりで上塗りしていくだけじゃないか。

    優しかった部分、厳しかった部分、しっかりしていた部分、だらしない部分、それらを微笑ましく思い出したり、また、笑ったりすることもできなくなる。

    はっきり言えば、医者もさじを投げている。

    そりゃあ彼らも思いつくことはすべて試しただろう。

    これは、家族とは何か、生きているとは何か、生命とは何か、人生とは何か、人間とは何かという領域にまで踏み込んでいる。
  • 脳出血後の母の叫び
    脳出血後、リハビリ期間を経て、少しだけ体が動くようになった母。
    ただ、脳の血流量の関係からか、前頭前野が働きにくく、情動を抑制することができない。
    身体の不快感等から消極的な考えもブーストされる。
    そして叫ぶ。
    入院していてリハビリをしていた頃、特に前期はまだそうした症状はなかった。
    ある時息苦しくなってナースコールを押したにも関わらず誰も来なかったことがあった。
    そしてそれから叫ぶことが多くなった。
    身体を拘束されていた時期もあった。
    向精神薬で感情を抑えるという対症療法的な措置が取られた。

    しかし、自宅介護になってから、その叫びは日に日に増した。
  • スマホ依存の弊害
    スマホ依存の弊害は本人が精神疾患になりやすいということもあるが、それ以外の問題としてその他の日常の雑務がどんどん溜まっていくという点もある。
    ものは散らかり放題で、スマホを見ているというような情景はよくあるのではないか?
    周りの家族は迷惑だね。

    スマホ依存

    結局スマホ依存者ばかりになったな。安易に軽いドーパミンを得られるというところがポイントのようだ。アンデシュハンセンがそんな事を書いていた。 やめたくてもやめられないということだ。

    遊びを覚えすぎた人たち

    高齢者もね、現役世代の女もね、遊びを覚えすぎた人たちなんだな。
    遊ばないとやってられないというふうになってしまったんだなきっと。
    家、汚いぞ。
    スマホばっかり見てんな。
    ということね。
    眼の前の現実を見ずに、画面とか遊びのことを考えてんの。
    ある種、経済社会の被害者ということになるね。
    で、心底楽しんでいるかと言うと、そうでもないよね。
    そこが問題。
    つまり、何をしてもつまんないの。
    ということは、それは間違っているの。
    でも、スマホや安い遊びは安易に手を出せるから、いつまでも気付かないの。
    暇を満喫して、溜めて思いっきりやった方が良いの。
  • セカオワ深瀬の影響
    セカオワの動画を見て、曲を聞いていると、深瀬の影響で良い混沌が生まれる。
    合理性の抑制だ。
  • でんでん力
    でんでん力(りょく)というものを勝手に定義していてね。
    これは、冷たい熱帯魚のときの「でんでん」にちなんでいて、つべこべ言うなら殴るというのも必要なんじゃないかということね。
    殴られないと思って相手は怠けていたり、ナメていたりするから、一回喝をいれるということね。
    実際に殴るかどうかは別として、そういう気迫とか態度は必要だと思うね。
  • 絶叫する子ども
    絶叫する子どもをなんとも思わないやつは、一体何なの?
    うるさいよ。
  • 子供向け動画
    最近の子供向け動画は、刺激を与えることだけを目的にしている。
    その理由は、どんどん見させて広告収入を得るためである。
    子どもを利用しているんだ。

  • AIチャット
    AIチャットって結局また情報を集めたいだけだろ。
    そして人のメールの内容までビッグデータとして集めようとするってのはどうかと思うぜ。
  • 停滞期
    うまくいきかけて、多少スピードが上がると、また停滞期がくる。
    嫌がらせのように感じる。感じるだけだけど。
    そういえばこないだいった病院でBBAが受付にキレていたな。
    汚いBBAだった。スマホで自分の顔を確認してたよ。
    どれだけ体裁を整えても、大概口臭がエグいからな。

    さあちょっとした睡眠障害が続いて約1ヶ月。調子のいい人よくない日の差が大きい。
    誰かを責めてそれでおさまるならそれでいいけど、別に誰も悪くないしな。
    でも誰も悪くないというのもたちが悪いな。
    そうやって物事を諦める方向に持っていくのか。

    登録は5

    登録は5程度。そのくらいのほうがいいかもしれない。 投稿数は106。1000くらいまでぼんやりと書くか。
  • プレハブハウス
    プレハブハウスが増えたな。ペラペラの新築な。
    売り出されている新築を買ってしまったら、どれだけ柱の本数が少ないかとか、あまりわからないじゃないか。だから騙されやすいな。
    そして最近プレハブハウスが中古で売り出されるようになったな。
    多分コロナの影響による経済的破綻だろうな。
    ファミリーカーがなくなり、その後に家が売りに出されたというようなパターンがよくあるな。
    大体は女の要望をホイホイ聞いていたんだろう。
    オチンロンはオマンレンに出会いたいからな。